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  • 2018.06.09 Saturday
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落ち着いてことばを綴る

 人生が、カルマを果たすためだけに終わる。

 それならば、それはそれでいいのだと思える。

 

 何一つ果たすことなく、浮かれて終わるよりは意味のある人生だと思う。

 同じことをぐるぐると繰り返す、同じ人たちと延々関わって、その輪から逃れることなく、繰り返す。

 これに意味を見出したいために、深く自分と向き合うことなく、極楽と娯楽に興じる。

 

 人生は、まばたき程のものだと、あなたは言った。

 わたしは、あなたのことばを鵜呑みにする。

 信じられるのは、あなただけだから。

 不変で不動で…変わらない永遠とはあなたなのだと知ったから。

 

 わたしは、たぶん今までいちばんの、これ以上のこれ以下の底がないというところにいるのだと思う。

 だけど、あなたのことばのおかげで、現実を非現実のようにしか見ることができず、変わらぬまま過ごしている。

 それが良いことなのか悪いことなのかも分からない。

 良いも悪いもなく、移ろいゆく景色を眺めている。幸も不幸もない。

 

 果てしない使命に、時に意欲的になったり、また疑ったり、そして逃れたいと思ったこともあった。

 

 今、こうして落ち着いて、何の波風が立つこともなく、完全に止まってしまった状態になり、これが明鏡止水ということなのかと、少々病的にも思うくらいの、すべてに興味を失った状態のなか、もしも、わたしの使命は今でも変わらないものであるのなら、それに近づいていかなくてはならないと思うようになった。

 

 明らかにしたくない思いが強かったが、少しだけ、ほんの少しだけ、わたしに起こったことを一部話すと、あまりの波乱万丈さに驚かれる。しかし、それは、一部なのだというと、さらに驚かれる。

 

 カルマの清算だけが人生なのだと納得していたが、それだけではないのかもしれない。

 カルマを果たすこともせず、過ごしている多くの人たちに、人生を無駄にしてはいけないと伝えたい。

 

 あなたはわたしにいつでもすべてを明してくれる。

 あなたがすべてであると、わたしはそれ以上の至高があるとは思えない。

 

 すべてがあなたであるとわたしはそう応えた。

 

 あなたはわたしに、言った。

 全は個であり、個は全である

 

 このことばは幾重にも真実が存在した。

 全というものが果てしないもので、未だに理解ができていない。

 

 全のすべてを知るために、わたしは人生を引き受けているのだと思う。

 

 

 

 

 


マ行の魔

 開けてしまおうと思った。

 そのために、記憶を探った。

『まついせんせい』そう呼んでいたことを思い出すと同時に、あの顔とあの声が同時に再生され、また再び汚泥に纏わりつかれた気分になって、身を震わせて、汚泥を振り落とす動きを、表には出さず、内なる衝動で発狂して繰り返した。

 

 まついせんせいという男を探さなくてはいけない。物置の奥にあったほこりまみれの電話帳を引っ張り出し、税理士のページを開き、市内のマの行を目で追った。

『松尾〇〇税理士事務所』を見つけた。こんなところでこの名前に遭遇するなんて…ぞっとしながらも、この衝撃は一回、二回と数え三回目なのだと再び驚いた。

 いや、しかし、この纏わりつくものから逃れるためにわたしは人生を歩んできたのだったと、人生の妙、その仕組みの完璧さに改めて、やはり何もかもが完璧なる宇宙の法則の上に乗っているのだと実感した。

 

 まついせんせいは見つからなかったが、家の中を駆け回って、まついせんせいの税理士事務所の封筒を見つけた。そこには名前はなく、会計センターに地域名が付いていた。なぜ、あの時、電話帳を探そうと思ったのだろう。あんなほこりまみれのものを手にとる必要はあったのだろうか。しかし、あの時はその衝動で全身が縛られていた。そうとしか言ええないくらいに、一直線に物置の奥に身を突っ込んだ。松尾○○の名前を見つけなければならなかったのだ。纏わりつく汚泥は、ひとりのものではなく、その一団、その一味、その企みそのものだということなのだ。

 

 だからこそ、点と点がすべて一本の糸で繋がったのだ。衝撃的な出来事が起こるたびに記憶の中にピン止めされたように点が記された。その点がすべて繋がったとき、わたしは神の存在を改めて認めるしかなかった。

 あなたの言ったとおりにしてよかった。そう思えた。

 

 しかし、わたしがなぜ税理士のまついせんせいを探さなければならなかったのかを考えると、これは世の中では不幸というものではないのかと思えてくる。

 実際のわたしは不幸を感じているのかといえば、そうではなかった。幸せという基準も世間の常識からは外れているのだろうから、表現の仕様が見つからない。世間では不幸のどん底という見方をされるのかもしれない。

 

 


第一の魔の衝撃

 塞がれた眼が開き始めた時期は幼稚園の年中の頃だった。

 年少の頃は、誰が誰なのか区別もつかず、名前も誰ひとり覚えることもなかった。

 唯一、すぐ近所で一緒に通園していた男児と女児の呼び名だけは覚えていた。顔と呼び名が一致するのはこの二人だけだった。

 わたしが知的に遅れていたのかどうかは分からないが、皆が先生の名前を覚え、甘える様子は見えていたが、先生の名前も誰ひとり分からず、顔も判別できなかった。判別できたのは鬼、ゴリラ、猿、キツネのお面だけ。他者との関わりは幼稚園がすべてであったので、その関わるすべての人がこの分類に属していた。

 

 わたしはそのすべてが恐ろしかった。恐ろしくてわたしは固まるしかなかった。

 この状態を、場面緘黙だと大人になってから知った。場面緘黙に陥る子供たちを見かけると非常に興味が湧いた。

 あなたの眼は何を見ているのか?どの段階の部分を見ているのか?

 超感覚的な子供をわたしはそっとしておくことができた。

 自らが自らを探るしかないのだから、自らが自らを守る術を見つけなければならないのだから、と。

 

 場面緘黙であるわたしは異様な存在だったのだと思う。

 鬼、ゴリラ、猿、キツネはほぼ同じように接触してきた。腫れ物に触るように、そして反応がないと怒りに変わっていった。

 怒りに対してわたしは抵抗した。

 ゴリラに突き飛ばされた経験から、突き飛ばすことを覚えた。

 猿に嫌がらせを受けた経験から、噛み付くことを覚えた。

 嘘つきなキツネには睨み返し関わらないことを覚えた。

 鬼のすべては先生だったので、ぼんやり鬼を眺めるだけだった。

 

 年少から年中になった時期、園舎の建て替えが始まった。

 年少の頃の建物の横に、3階建てのビルを建てるのだ。

 その間、お堂の横にある大きな部屋に年中児のすべてが集められて過ごした。

 クラス分けはされていたようだが、すべてが同じように過ごすことになった。

 大きな部屋の真ん中に先生が立ち、大声で指示を叫んでいた。

 口に手を添えスピーカーにしても声は行き届かない状態だった。

 

 部屋には光が差し込む窓が見当たらなかった。薄暗く、電気もあったのだろうが暗闇の中で過ごしていた。

 部屋の片隅で何が起こっていたのか知る由もない。鬼の眼は何も見えていなかった。

 

 異様な雰囲気のわたしは、並べられた机の補助的な場所に座らされた。

 一人だけはみ出して、一番後ろに追いやられていた。

 すると、わたしの周囲に黒い汚泥が広がり始めた。

 汗ばんだようなどんよりとねっとりした生暖かい手の感覚を覚えている。

 黒い汚泥をじっと見ていた。ぎらっとした目の白さを見つめ続けた。

 

 汚泥のようにドロドロと形を変幻自在に変えて纏わりついていた一団には指示を与える主犯がいた。

 わたしはこの指示を与えるぎらっとした目が誰なのか知りたかった。

 まつお○○くんと皆から呼ばれていたので、フルネームで名前を知った。

 主犯の指示に従う副主犯は色素の薄い髪でおかっぱ頭の男児だった。その他に2,3人いたが汚泥にしか見えなかった。

 主犯と副主犯の顔をしっかり目に焼き付けた。

 年中のわたしは思考した。この時期に、すでに思考が存在していた。

 

 座るわたしの後ろに3人、机に潜り込みわたしの前に2人、それぞれが場所を入れ替わり立ち代わりうごめいていた。

 わたしの足首にはパンツが引っかかっていた。

 わたしはそのまま立ち上がり、足首にパンツをひっかけたまま歩き、ど真ん中に立つ鬼の前に立った。

「トイレに行きたいのなら、行ってきなさい」鬼は汚らわしいものを見る形相をして叫んでいた。

 

 わたしは無言で立っていたのは覚えている。

 たぶん、おそらく、目からは滝のような涙が流れていた。

 毎日のように繰り返された汚泥に纏わりつかれる恐ろしい日々は、わたしが一歩踏み出したことで終わった。

 

 何をどうすればいいのかなんてわからなかった。それを表に出してしまおうなど思わなかった。

 無かったことにもしたくなかった。この衝撃をわたしは忘れてはならないと感じたのだ。

 年中児が思考に思考を重ね、この行き場のない感情を大切に胸の奥にしまったのだ。

 純粋で無垢で穢れのない大切なものが在ることをわたしは知ったのだ。

 その弱々しいものが表に現れた状態で過ごすことは、おそろしく危険なことなのだ。

 この経験は、完全にくっ付いていた眼の淵が少し開いたきっかけだったのだと思う。

 

 

 


白い服を着た大きなおじさん

 年長になったころ、新しい園舎が完成した。

 教室は3階だった。

 

 わたしは窓から空を眺めて過ごした。

 幼児教育に熱心な幼稚園だったため、園児が強いられる活動は盛んだった。

 活動のすべてが嫌で堪らなかった。

 わたしは一日中空を眺めて過ごしていたいのに、鬼は物凄い形相で活動を強いるのだった。

 何をどうすればいいのか全くわからなかった。

 後に母になり長男も同じ状態であることを知り、生きるための理解が深まった。

 

 粘土にしろ絵にしろ、必ず見本が置いてあるので、それを見て、そのとおりに真似をすればいいのだと。

 しかし、長男はそうしなかった。

 次男をシュタイナー教育の幼稚園に通わせたことで、さらに生きる理解が深まった。

 真似る=盗むというイメージしかなかったのだが、シュタイナーの伝える真似るは盗むとは程遠いものだった。

 模倣という言葉を知り、それは真似することとは違うのだと気づかされ、生きるための営みを学ぶために必要なことなのだと…

 何もかもそっくりそのままコピーするようなことを幼少期にできる訳がないのだと今は分かる。

 次男の幼稚園の活動を見るたび、笛を吹いて整列させるようなことを園児に強いる教育が良い影響を与えるはずがないと確信していったのだ。

 

 ふんわり柔らかな感覚に包まれたまま、大切なものを包むものが未だ降りてきていなくても、安心して過ごせる環境。

 わたしにはそれがなかった。ぼんやりして過ごしていられなくなったのだ。

 そのかけがえのない大切なものを守るため、成長するに従い、覆われる層を増していく。

 世間の荒波にも耐えられるように徐々に成長していくのだ。そのスピードは今の幼児教育の観念とはかけ離れて遅いのだ。

 あの時期は、ふんわり包み込むように ゆったりと過ごさなければ…私のように…なって…しまう。。。

 

 空を眺め続けていたのは、わたしはそこに自分の戻る場所があるのだと本能のように知っていた。

 空に向かって「おうちにかえりたい」とこころで伝えていた。

 ある日、大きなおじさんが空に現れた。白い服をきた若いおじさんだった。

 おじさんは掌に地球を乗せて覗き込んでいた。

「どんなにつらいことがあってもずっと見ているよ」と言って、おじさんは消えてしまった。

 

 おじさんはどんなことも見ていてくれるのだ。

 わたしが上手く伝えられないあの衝撃のことも知っていてくれるのだ。

 どんなにつらいことがあっても、おじさんが見ていてくれるのなら、誰かがわたしのすべてを知っていてくれるのなら、それでいいと思った。

 

 わたしはこのとき年長になったばかりの5月の出来事だったと記憶している。5歳だった。

 この少し前に、こいのぼりの作品を作らされていたから。

 

 

 


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